前回の話の続きである
孤独に関する話で、
前回はクリスマスの人混みを歩く時に
最高に孤独を感じるが、
同時に豊かさと自由さを感じる…と書いた
同じ類で特に孤独を感じるのは
先ほどと真逆で
誰もいないぽっかりとした
無人空間に立ち、風を浴びる時だ
これは文字通り孤独で、
あたりには誰もいない
まさに寂しさの真骨頂である
しかしこれも、やはり相反するものとの
コントラストによって孤独が生み出されている
すなわち、たくさんの人がいる空間から
無人空間にいて風を浴びることで
孤独を感じているのだ
何かわちゃわちゃしていて、
それを喪失するから孤独になる
だから風を浴びる=障害物がない
障害物がある時を知っている、のだ
このブログではおひとりさま、と
銘打っているが、
その実私はおひとりさまでないかもしれない
いや、状態としては1人なのだ
しかし元から親戚や兄妹もいないし
友人や恋人などが
たくさんいたわけでもない
大きな喪失感があって、寂しくてつらくて
それでもおひとりさまとして生きているんだ、
みたいな失った人間の温度感みたいなものは
一般的な他者のそれより
要素が少ない気がする
(過去の恋愛で酷い目にあったが、10回もあったわけではない)
今読んでいる本は、後日ブログに書く
孤独やおひとりさまという
最近流行りのワードを分解してみると
自分は孤独であっても
孤独感を纏っているのか疑問が湧いた
そこで最高に孤独を感じる瞬間として
うだうだと書いてみた
クリスマスや年末年始の人混み、
街中の混雑と対比した場所や状況に
孤独を感じるが、
一般的な描写との対比にとどまることから、
自分の孤独はあくまでその場の状況で
そのバックグラウンドから
滲み出るまでには至らないと結論付けた