この前は良いレストランに行って、
1人でもぐもぐ食べていた
もちろん美味しいなとは思うけど、
"ひっくり返って目眩を起こしちゃいました…"
とか、
"本当においしくて…幸せなんだなと思わずウルウルしちゃいましたピョン♪"
みたいなトンチンカンなことは言わない
1人で噛み締めていた
ところが、近くの席のおばあちゃん…
おばあさん?達は
「美味しいね〜こんなのが食べられるなんて」
「本当に幸せ!」
「またこれを食べるために1年長生きしなきゃね〜」
みたいな会話を延々ループしていた
500億回くらい言ってたね(盛りすぎ)
そしてスタッフさん達に
いかに歳をとるとしんどいか…
足が痛いか…腰が痛いか…
みたいな話をし、
でもこんな美味しい料理が食べられて幸せ、
という話に終始していた
分からんでもない、
私も身体が動きにくくなれば
レストランでの
たまの食事が特別な行事となるであろう
だけど、私は幸せだな〜、幸せだね〜、
みたいなトークが好きじゃない
口に出さないといけないか?
幸せじゃないんか?となるし、
幸せと他者に言って、
その反応があることが前提になってしまう
幸せだろうと何だろうと、
自分が思っていればそれでいいはずだ
誰かと分かち合わないと幸せでないなら、
それ以外は全て不幸せになる
そうなると1年365日の
ほとんどが不幸せになると思う
ついこの前の記事の通りだが、
必死に幸せですとかをアピールしなくていい
アピールというか、
他人に認めてもらわなくていい
勝手に思っておけばいいから
今回のがアピールとは断言できないが、
すごい頑張ってお伝えして
認めてもらおうとしているな、
なーんて歪んだ見方をしちゃったワケ
↑スープだよ!
遅ればせながら
何を食べたんだって話
このブログにも度々登場している
レストランなので今更書かない
期間限定の特別コースにした
食材が相当豪華なので
おそらくかなりお得
でもまあ松茸とかクエとかウニとか
出てきたけど、食べなくたって生きていけるし
食べたから何か変わるワケでもない
別にこれそのものが幸せってことではないかなあ
じゃあ食べなくていいじゃんって
ことでもないんだよねコレが
こういうのもあるから
ちょっと楽しみで頑張れたりする
食べたところでふーんって感じなんだけどね
幸せとは何か?
私の探索はまだまだ続くのであった