いきなりだけど、
元旦といえど特段別に無いんだよね
スペシャルなこともしないしさ
ということで元旦は普通に朝起きて
お雑煮を食べてあとは適当に
ダラダラしていた
糸冬
で終わるとあまりに短いので
お正月にまつわる
余談を思い出しながらもう少し書いていこう
https://nonotama050.com/entry/2024/01/01/234745
去年何してたかなーと思ったら
おせちのことが書いてあった
これ、まさに有言実行で、
今年はおせちを買っていない
代わりに栗の甘露煮を買った
確かコレ
おせちの具材でまともに食べられるの、
よく考えると栗くらいしかないんよね
ということで今年はこれだけにした
味は普通かな、甘かった
2025年も変わらず殆どの食べ物を
普通と言って片付けそうである()
他に飲食系だと、
この前買った紅茶も開けて飲んでみた
キームン紅茶の2024春茶
キームンが好みで
わりとよく飲んでるんだけど、
このキームン紅茶は抜けて美味しかった
ちょっと格が違う感さえあった
この世にはとんでもない紅茶もあるんだなと
元旦から世界の広さに驚いたのだった
あとお正月といえば初詣!
…なんだけど私は三が日とかに行く
初詣というより人の多い寺社仏閣が苦手
なのでまだしばらく行かないかな
落ち着いたら行くわ、神様許して
じゃ飲食はしたとして、
初詣にも行かず何をしているのかというと
ちょこちょこ本を読んでいた
この年末年始は本をガンガン読むというよりは、
本棚のスリム化を目指して
選別する意味で未読の本を読む感じかな
ラッセルの幸福論は
その未読の本の一つだ
読むのは読んでるけどさ、
今の世の中に似たような自己啓発本が
増えすぎているのか、
あんまり刺さらないなあと思った
もちろん、インフルエンサー()とかが
読むならラッセルだけどね
幸福を追い求めるうえで
幸福の要素を洗い出し、
かつ不幸となる要因を取り除くことは
非常に重要だと思う
しかし幸福を追い求める、という精神のありよう
そのありようは果たして
生きるうえで絶対に必要なのか?と
思うのが私の根本にある
幸福になることが人生の目標というのは、
精神性が発達した人間だからこそ思うことだ
幸福に生きるのが人間でしょう?感があるよね
生物として幸福(=高等なステージ)に
いるようにしましょうってコト?と思い、
傲慢さを感じてしまうのだ
私個人としては、人間というのはただ生まれて
いつかお迎えが来る、というサイクルなだけ
それ以上でもそれ以下でもないのかな〜
なんて思っちゃうんだよね
だからラッセルが刺さらない
ちなみにこのただのサイクルじゃね?論は
過去の哲学者も勿論辿り着いていて、
似た主義でいうと
実存主義とか超人主義とかだ
生きることに意味なんてないけど、
そんな意味のない世界を生きる
ちっぽけな自分をちょっとは愛そうね、
みたいな感じなら
それなら分かるかも‼︎となる
最後精神的におかしくなってしまったってのが
すごい印象に残っている
こんな難しいこと考えてたらそりゃそうなるわ
大学へ進む時、所謂心理学科も
候補にあったんだけど、
そこまで魅力的だと感じなかった
哲学史は授業も楽しくて
いまだに心に残ってるので、
心理学より哲学が好きなんだろうね
様々な主義の体系そのものを
考えるのがすごく好きである
とはいえ、哲学のことを考えるのは好きだが、
私は凡人でニーチェではないわりに
突き詰めて考え続ける性質なので、
哲学専攻だと頭がおかしくなるだけなる、
というタイプだったと思う
現に考えすぎて今でも若干おかしいし()
だいぶ話は逸れたが、
ラッセルの幸福論から
色々と哲学者の主義主張を調べていたのが
元旦の私がしていたことだ
あとホント大したことはしていない
1月の旅どうするかな〜とかちょっと思ったかな
哲学で頭おかしくなるといったが、
次の旅どうしよっかな〜という、
とりあえず働いて、
たまに旅するサイクルがあり、
それをすることの
支障がない時代でよかったなと思う
すごく幸福な時代だよ、
幸福ってワード結局使うんかいって感じだけど
まあどっちにしろ女なので、
旅の逃避以前に
昔では学者にはなることさえ
できなかったと思うけどね
それならいっそ何も学びたくないかも
知ったうえでそれを活かせない、
自分にとっては不条理な環境なんて
苦しいだけだもん
ということで思考しまくりの元旦であった
貴女の哲学って目の前の現実からの
逃避じゃない?と思う皆さん、正解デス