最近は暇…というか
空白の時が訪れることが多い
たとえば移動時間、夜の寝る前、
もう何かに追われて勉強しなくていいし
明日のことを心配しなくてもいい
勉強や心配が無くなってはじめて、
動画を見たりする、本を読んだりする
そして旅の計画を立てたり、
ものすごくたまにゲームをしたり、
そうやって色々やっていって、
最後の空白の時に
ふと今までの黒歴史…過去を
思い起こす思考になる時があるのだ
まあ過去といっても
大した過去ではない
大概友人関係がうまくいかない
(とにかく関係性を維持できない、すぐ失言したりする、構ってほしいがためにイタイ振る舞いをする)
あと異性と関係性を作ることができない
(どう接したらいいのかわからない、好意があってもどうしたらいいかわからないし、好意を持たれてもなぜかいつの間にか引かれる)
こんな感じ
いつもいつも悩んでいた
もっと面白くなるはずだ
もっと本当の私は魅力的なんだ
なんかそんなことばっかり
思っていた気がする
10年以上経過して思うのは、
自分ってのはそんな大したことはなくて、
来る者拒まず去るもの追わずで
泰然自若としていればよかったなあと思う
最低限関係性を維持する
ちょっとした気遣いでいいのに
キャラを変えたり相手に必死に合わせたり、
かと思えば振り回して確認したりなど、
"本当の自分"の黒い部分を
煮詰めて煮詰めて相手に投げつけていたと思う
普通に迷惑だよな
今でさえもまだたまに
本当の私はこんなもんじゃないんだ!
みたいな悪い部分が顔を出すけど
めちゃくちゃ頻度が減った
私の場合は単純に歳を重ねたってのと
まあなんとか社会人をやれてるってのが
救いになり、こんな感じだけど
ココまできてるからヨシとしよう!
がセーフティーネットになった
本来はもっと早い段階で自己肯定感を
高める手法をとったら、
楽しい期間がさらに若い時に来たと思う
ただその呪縛から一部分で
逃れられていない人もいて
えっそこで見栄張っちゃう?!な事態もある
私もどうでもいいところで
どうでもいい見栄を張ってる時もあるだろう
(自覚のある無自覚みたいな状態だが)
認めてほしい、分かってほしい、
は他人に求めるものじゃないのが
私の思うスマートな生き方である
しかし周囲に人を取り巻きさせながらも
楽しく生きている人もいるので
世に正解なんてないということだ
逆を言えば私の生き方でさえも
私自身が満足して
歳を重ねているのであれば
特に何も言われるものではないので、
今この瞬間黒歴史を思い返して
こうしていこっかな、今後は…
も大切にしていい
私が私を許さずしてどうする、ということだ