水曜日あたりから
喉の痛みと唐突な関節痛に見舞われた
すわ何事かと焦ったが
コロナだとしても軽いので
治るまで待つかとじっとして今に至る
あまりどこにも行ってないし、
まず体調が悪いから毎日がつまらない
お出かけや外食は
健康があって楽しめるものだなと
こういう時に改めて思う
なんでもないようなことが
幸せだったと思う…(ロード)
なんか今日はレトロ路線である
さて、この前のコロナで
思い出したのだが、
その時に暇なので春の雪を読んでいた
このブログに感想を書いてないはずなので
ここで書いておく
(書いてたとしても絶対今と感想が違う)
あらすじとしては
ボタンのかけ違えで
離れた2人の悲恋…って感じなのかな
私はこういう小説ってよく分からない
こういう小説ってどんなだよと思うだろうが、
春の雪の続編があって、
天人五衰まで読み切ると
カラクリがわかるのだ
簡単にいうと実体のない話だ
いや、小説だから実体なんて
そもそもない(ルポならあるけど)が、
幻でしたよ…みたいに泡沫夢幻感を
出されると、
今まで読んだのはなんだったんだ?!
となってしまう
要するに読後感として
好むものではないということだ
めっちゃ分かりやすくいうと、
夢オチか〜みたいなガッカリ感
春の雪って、ロマンス小説として
表面上とらえるならば切ないものである
が、実態として清顕の聡子への執着は
自尊心からくるものであり、
お互いの情や意思疎通のうえでの恋愛ではない
聡子も出家してしまうのだから
本当に清顕が好きだったのかな
なーんて思ってしまう
お互いが好きで好きでたまらない
だけど時代とかおうちのことで
離れなければならない…これはめちゃくちゃ好き
切なすぎて泣いちゃうね
でも春の雪はね、
"ちょっとした火遊び"感が
ありませんか?となってしまう
そしてラストは悲恋で終わる
やっぱり私はこういうロマンスは
ハッピーエンドに終わってほしい
なぜか、それは小説って幻だからだ
虚構でくらい夢を見させてくれよとなる
著者の三島由紀夫は輪廻転生が好きみたいで、
このストーリーのオチである
意識が生み出した幻、はそれはそれでいい
老いて虚しい、も伝えたいテーマだろう
ただまあ、そういった絶望とか虚しさの中で
どうやって生きていくのかみたいな事こそを
三島由紀夫は最後に書くか、
あるいは示して欲しかったなあと思う
虚しいですね…で終わることが
一つの美学、三島由紀夫の解脱、
そして仏教思想だと
いうことは重々承知してる
悟って虚しさの境地に辿り着くのは
手段であって目的じゃない
虚しさなんて分かってるけど
それでもやってくる明日をどう生きるか
この境地に至るくらいの
崇高な思想でもってどう他者と相対するか
これを自決せずに三島なりに伝えてほしいな
いや、無理なお願いだな
デカダンスってことは分かるんだけどね
なんかこう、小説にするなら
退廃ルートとハピエンルートに
分岐させてくれよっていう我儘