真面目女のエブリデイ日記

繊細で完璧主義の、甘くて苦いエッセンス…

映画と心のお話:クレヨンしんちゃんオトナ帝国の逆襲②

前回の続き

オトナ帝国の逆襲の名シーンを今一度見た

これを上映当時映画館で見たオトナ達は

軒並み泣いたそうだ

 

名シーンとはずばり、

しんちゃんの父親ひろしの半生である

父親と虫取りをして学生になり

彼女ができてそして振られ

上京して会社でペコペコして

結婚して子供ができた…感じのムービーだ

 

この映画の上映は2001年である

これを上映当時見て泣いたオトナは、

青春時代は1960から1980年代だろう

2000年という節目を迎えて、

何か新しい世の中に突き進む中、

それに反しノスタルジーに浸るオトナに、

ある種のアンチテーゼとして

この映画があるならば分かりやすい

 

でもどちらかというと

極端なアンチテーゼとしてよりは、

「でもやっぱりノスタルジーに浸ってるのは良くないところもあるから、辛いこともあるけど明日からも会社に行って仕事してペコペコしろよな」という方向性な気がする

それはさんざん回顧させたうえで

日本社会的労働型に戻らせるような

ある種の狂気さえも今なら感じる

ダメらしい、過去に浸るのは

 

「懐かしいっていいことなのかな?」

というセリフを言った風間くんは、

子供だから懐かしい感覚がわからないのだ

これはその通りなんだけど、

過去に縋るほど、過去を見て泣くほど

今はつまらないものなんだなぁと思う

オトナはこれを見て心を動かされたそうだ

 

前回にも書いたが、

入社当時に違和感をおぼえた

ペコペコ社員や不平等な集団に成長の強制に

私は迎合しないし、

"やらないといけないけどそれに背いてる"

とも思わないようにしている

だが、大抵の人の中には、

本当は嫌という感情がありつつも、

"だけどそうしないといけない"という

思いとそれに納得した気持ちが備わっている

この気持ちの発現と同時に、

幼少期からのキラキラした思いは忘却する

 

上記の是非は置いておいて、

ひろしはそうやって過去の思いを

無理矢理追憶させられた挙句

しんちゃんに「わかる?」と

"オトナ・親としての野原ひろし"に

戻ることを求められたのだ

 

オトナになることは、

自分の感情のままに生きることができなくなる

…わけではない、少し違ってて、

オトナになることは、

周囲の空気を読んで、身内には

それなりの遠慮と贔屓をするということなのだ

野原ひろしは妻と子供を守るために動く

それはオトナとしての責任であり

責任とは空気を読むことみたいなものだ

 

私は子供に戻りたくない

それは幼少期から25歳くらいまで

空気を読んで生きていたからだ

だから、空気を読まずに行動してる

今の方がずっと生きやすい

 

教育は個々の人格にときに触れてくる

みんなと一緒に成し遂げないといけない

みんなには無償で協力してあげないといけない

それができない人間は"ダメ"なのである

 

会社はそれはない

プロジェクトの達成は、

任命された役割であるからだ

また、その仕事に対して給与も発生する

生き方とか心の在り方までは縛ることはない

 

オトナ帝国の逆襲では、観賞後、

ふんわりとノスタルジーに包まれつつも

明日からも家族のために

会社辛いけど頑張るぞ!となるだろう

 

金や欲望にまみれた未来より

人情味溢れる過去がいいとか、

それより今を切り開いていくとか、

勿論その解釈でいいのだ

 

ただ、ノスタルジーを感じるような

オトナにならないようにすると

もっといいんじゃないかなと思う

それは実際の環境の破壊ではなく、

自らの過去を客観的に振り返って、

今の潜在的な考えが空気のために

出来上がっていないかと見直す行為だ

そしてそれが、昨日の記事で私が言及した

思考の更新なのである

 

成長は不可逆的だが、

更新は逆行ができる

 

千と千尋の神隠しじゃないんだが、

元の名前を忘れちゃいけない

子供のキラキラした思いを、

オトナの諦めた責任の思いに

埋め尽くしておくと、あとで

ノスタルジックな世界から戻ってこれなくなる

 

私たちは忘れていた感覚に、

未来も現在も奪われるわけにはいかないのだ

 

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